性格は遺伝する、という嘘
生活習慣病タイプ
東北地方に高血圧の人が多いのは、塩っ辛いものを食べることが多いからですよね。こうして、環境ゆえの生活習慣がもたらした影響で、それを共有している集団に共通していて、親、祖父母、と受け継がれてしまう習慣が、「遺伝」しているように見えるのです。
つまり、習慣を誰かの代で変えることができたら、受け継がなくてよくなるので、「性格と遺伝は別モノである」ということがわかります。
仮にこの「親や祖父母からの受け継がれた習慣」が、今の自分に合っているなら、何かの問題を引き起こす要因にはならないということです。
いつも似たような問題を繰り返すなら、親に似た考え方や行動が自分には似合っていないのに、無理して(頑張って)とっていないか、思い当たるふしがあるなら、それが「繰り返す原因」かもしれないということです。
私が出会った人の中に「え?そこ?」という超レアなケースもありました。
素敵な男性に巡り会えても、なぜか長続きしないある女性の「長続きしない原因」を深く掘り下げてみると、「乗り物酔い」という、親や祖父母から受け継がれた習慣がわかりました。
「私は、乗り物に酔う」という思い癖が、デートする場所を、デートする前に限定させてしまっていたということです。違う言い方をすると、「自分は乗り物に酔う」ということを信じているから、「酔う現実」を引き寄せている、ということです。
この女性は、「デートしたら、乗り物に酔う」という怖れから、デートが台無しになってしまう、相手に愛想をつかされる「怖れ」へ変わっていって、相手を自分から遠ざけてしまっていることが原因でした。
何かをしてくれたら愛されている、という相手を試すことが問題を起こしていたことで、なぜ、嫌われるようなことをあえてしてしまうのか?という疑問を掘り下げていくことで、「乗り物酔い」という原因まで到着できたということです。
現実は「自分が信じていること」しか起こりません。
彼女の場合なら、乗り物酔いする家族の姿を見続けたことで、「乗り物は酔うものなんだ」ということを信じた結果、乗り物酔いする自分になったのです。
生活習慣が「遺伝」しているわけです。
シャドータイプ
シャドー(影)というのは、平たくいえば、カンに触る相手のことを言います。それは往々にして、相手と同じものを自分が持っているからですが、その同じものは「見たくないもの」である場合がほとんどです。だからシャドーというんですね。
もしくは、カンに触る相手と同種類の何かから受けた痛みが「残っている」ために出会う相手だと言えます。シャドーは、自分が見たくない(もうあんな扱いを受けたくない等)その痛みに触れさせてしまうので、まさにカン(燗)に「触る」のです。
たとえば、デリカシーのない人や、横柄な人に「ムカッ」とするのは、普通だと思います。しかし、デリカシーのない人や横柄な人は、態度が習慣になっている場合が多いので、自分がまさかデリカシーのない人間に思われているとは思っていないことがほとんどです。
つまり、そういった態度が、その人にとっては常識(普通)になっているんですね。だから、他人から見て非常識な態度だとは思っていないわけです。
道端でタンを吐く人は、道端でタンを吐くことが常識なんですよ。悪意があってやっているわけではないのです。電車の中で足を広げて座る人は、足を閉じたらもう1人座れるかも?という状況判断ができない原因は、足を広げることが習慣になってしまっているからですね。
これらはすべて、その人の問題であって、そういう人に出会う人の「問題」ではない、ということですね。そういう人に出会う人の問題は、「どうしてそういう人に出会うの?」という点です。
だって、そういう人に出会わない人もいるのは、世の中、そういう人ばかりじゃないからです。 あなたに優しくない人がいれば、優しい人もいますよね。
だったら、あなたに優しい人に出会いたいじゃないですか?
だから、優しくない人に出会う人の問題は、「どうして私は、優しくない人に出会うのだろう?」ということです。この問題を自分の課題にした場合の言い方なら、「私はどうしたら優しい人に出会うのだろう?」ということです。
問題は、「なぜ?どうして?」という原因を知って、その原因を解決するために、「どうしたら?」という課題を、自分が自分に与えてあげたらいいんですね。
問題は起きたとき、同時に解決策もついている、と言われるのは、問題には原因があるからです。その原因を解決することが、問題を解決することだからです。
やらないほうがいいことをやってしまったら、もうやらなかったらいいわけです。やったほうがいいことをやらなかったら、次からやればいいということです。
習慣を変えて潜在能力を引き出す方法
しかし原因がわかっても解決出来ないというのであれば、解決できない原因が習慣だと言えます。
習慣というのは、無意識にしてしまっている行動、言葉、態度のことです。
その無意識は「自分が信じていること」を指します。その「自分が信じていること」を、自分の常識といいます。つまり、自分の中で当たり前になっていることですね。
常習化、常態化しているものです。力を入れなくても、情熱がなくても、意識しなくても「自然にできること」は、すべて自分の常識になっているのです。
この「自分の常識」の中には、あるタカラモノが含まれています。
それを「ポテンシャル」、潜在能力といいます。
それは、他人が努力しなければできないことで、自分は努力しなくてもできることです。
なにかの問題が起きたとします。
その問題の原因を知ることが第一。
原因を解決する策を講じることが第二。
ここでポイントになってくるのが、提示された解決策を少なくとも21日間継続することです。それは、習慣は21日あれば書き換えられるからです。習慣は無意識ですから、無意識は、21日以上意識したものの集合ですからね。
潜在意識の原則に「願望を叶えるための行動を21日間続けたら、やらずにはいられなくなる、その行為が願望を達成させる」というのがあります。
ですから、習慣にしたいことができないのであれば、上記にあげた「生活習慣病」か、「シャドー」の正体を突き止めることからはじめてみてください。
生活習慣病タイプなら、その環境(=家庭での常識・家族が当たり前にしていること)から抜け出せなかったことの痛みがある場合がほとんどです。
早く食べなさい!残さず食べなさい!何トロトロしているの!
と言われて大人になった人が、仕事で提出期限を守れなかったり、業務連絡など、ほうれんそうができなかったり、約束の時間に遅刻したりするのは、過去に急かされる環境で受けた痛み「どんくさい、トロい」が自己嫌悪(急げない自分はダメな自分)になっている可能性が高いと言えます。
シャドータイプなら、相手を責めきれない時に、自らを責める罪悪感にすり替わった痛みがあります。結局、原因のほとんどは、痛みを放置していることで問題が繰り返し起こるんです。
シャドーの見分け方は、割と簡単で、あなたがムカッとする人がほとんどです。
病気は「病は気から」と言われるのも、感情が健康を左右するからですよね。
だから、問題が起きたときは、痛みに向きあうチャンスなんですよ。
性格は遺伝ではなく、習慣を受け継いだ結果です。
しかし、性格を構成する「生まれ持った資質」は、才能として、親や代に関係なく持って生まれてきますし、それはだいたい「親が持っていないもの」と言われます。
せっかちな親の子は、おっとりしているとか、頼りない親の子は、しっかりするとか。
親にない、生まれ持った天性を引き出すのも、習慣を変えることからです。 自分には才能がない、という言葉は、違う才能がある、ということです。才能がないものを頑張るより、もとからある才能を引き出して磨いていくほうが、願望は達成しやすいです。
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