コンプレックスは不可能を越える
出典:SK-Ⅱ
バレエダンサーに向いていないと言われたから、私は自分の運命を変えると決めた。
SK-Ⅱ企業CMでそう語る、倉永美沙。
彼女は、美しくなるために、足元から運命を変えた人です。
誰もが一度は思う「自分には才能がない」という劣等感。
その見えなき得体のしれない感情は、他人と自分を比べ、自分の夢を諦めさせてしまう魔物です。
倉永美沙さんは、アメリカでそれを経験しました。
156cmという小さな身長に華奢な腰つき、そして控えめな目鼻立ちは、表情にフタをします。プロポーションに恵まれた西洋人の中で、彼女は役を得ることが出来ず、解雇。
コンプレックスを味方につけて身についた
「真の美しさ」
アジア人である自らのDNAを悩むほど、倉永さんは絶望の淵に立ったと言います。
日本であれば評価されるものの、海を渡った途端に全く通用しなくなる。
それも先天的な理由で。しかし彼女は諦めることなくニューヨークに渡り、スクール・オブ・アメリカン・バレエの門をたたきました。
クラス中でアジア人は、彼女たった1人。
そして彼女が一番の年長者だった。
劣等感に押しつぶされそうな状況下で鍛錬を重ねた結果、小さな身体全体を使った動きを修得したとき、小柄だからこそ誰よりも俊敏に舞うことができることがわかったのです。
そう、弱みが最大の強みになったのです。
自らのコンプレックスを認め、邁進する姿勢にこそバレエの魅力があると倉永さんは語ります。
バレエは、フィジカル面はもちろんメンタル面でもとてもハードです。素晴らしいプロポーションを持っていたり、技術が優れていても完璧な美を体現することは困難だからです。
造形的に完璧なバレエを見ても心に響かないところがあるくらい。でも、ただひとくくりに完成しないところに魅力がある気がします。
そう感情を高ぶらせて言われました。
「人の心を動かしうる美しさ」とは、想いしかない、と彼女は言います。
ボストン・バレエスクールで見たたった5分間のデモンストレーションで踊っていた女性たちは、センターに立つこともなく、スポットライトが当たる人でもありませんでした。
技術でも華やかさでもなく、彼女の熱い想いが倉永さんの胸に響いたとき、ステージにかける情熱は、見ている人の心を揺さぶる、それこそが美しさなのだとわかったそうです。
コンプレックスの源泉は、誰も既成概念です。
「最適な身体」や「美しさ」といったものは、本来多義的なものであるにも関わらず、人は物事を杓子定規にはめたがります。
他人の目ではなく、自恃(じじ)を持ち、突き進むことが大事だと彼女は言います。一般的なバレエの枠ではなく、自らが想うバレエ像を追求していった先に、彼女の成功がありました、
コンプレックスは「自分は才能がないからダメなんだ」と甘くささやき、決められた枠に私たちをとじこめてくれます。 それは、安全地帯から出なくて済むからです。コンプレックスを持つことのメリットは、変化ではなく現状維持、本当は幸せになりたいのに、幸せになるためにはコンプレックスを捨てなければならない。だから、幸せになるのを諦めるのです。
できない正当な理由がほしいからです。
それは無理、あれはできない、と社会に通用する立派な理由は、所詮、現状を維持するための「言い訳」なのです。
そんな所与の運命に屈さず、自分の信念を貫き通す、これこそが倉永さんの言う「想い」であり「美しさ」なのではないでしょうか。
彼女は世界を代表するバレリーナとして活躍していますが、その栄光を手にするまでには、誰しもが向き合うコンプレックスという名の壁を乗り越えてきた軌跡があるのです。
私は、生まれつきバレエにおいて完璧なプロポーションを持っていなかった。それゆえ、どれだけ努力しても西洋生まれのダンサーを越えられない部分はありました。 でも、それは一部であってすべてではないのです。私が今日を迎えられているのは、不屈の精神を持っていたからだと思っています。
コンプレックスに負けないで、挑戦し続ける。自分が想う美しさへ貪欲にトライする姿勢が今日の私を作っているのだと思います。
私はコーチにもすごく恵まれているのですが、彼女たちは必ずしもボストン・バレエ団に所属しているわけではありません。生まれ持った資質や所属といった「所与の運命」は、絶対ではないのです。
誰もがコンプレックスを抱えて生まれてきます。他人の価値観に揺るがされることなく、自分のゴールに向かって突き進むことこそが、運命を変える方法だと私は信じています。
倉永さんはそう言われました。
運命は生まれながらに決まっているものではなく、変えていくもの
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