スピリチュアルヒーリング


スピリチュアルヒーリングとは、ボディに触れずに、スピリットを癒す手法です。


そのため、レイキヒーリングもスピリチュアルヒーリングに属しますが、レイキがオーラを癒すのに対し、たとえば、サイキックなどは、錬金術等を使って不要なエネルギーを取って癒します。 


オーラとは、一言でいえば雰囲気のことですね。

中国なら「気功」、ヨガなら「チャクラ」、恋愛なら「フェロモン」という概念になります。

オーラについては、また別で特集しますね。 


錬金術とは、たとえば「ハリーポッターの賢者の石」がそうです。


つまり、心にある卑しい性質を高貴な性質に変える力のことす。

臆病を勇気に、利己な心を親切な心に変えたりすることです。


しかし、心にこのような変化をもたらすことは、決して容易なことではありません。 


賢者の石がこの作業のために必要であるとされるのですが、「石」とは、ストーンのことではなく、すべての人の心の奥に潜んでいる高貴な性質の自己(素晴らしい自分)のことを意味しています。


素晴らしい自分がどんな人でも自分の中にある証拠は、生まれたときの自分です。

純粋で無垢な「生まれた状態の自分」を指します。


そのためこの自己は、よく貴重な宝石に例えられるので、ハリーポッターの賢者の石なんです。

そしてこの自己には、真理、善、美を愛する傾向があります。 


少年刑務所のある教官は、私にこう言いました。

「ここは、彼らを更生させるためではなく、生まれた状態に戻してあげるためにあります」 


これをオードリー・ヘップバーンの言葉にすると「私たちはみんな成長した子供」です。 


それをまとめて「ありのままの自分」といいます。

コーチング的に言えば「自己実現した自分」つまり、「幸せですか?」と問われて「イエス」と即答できる自分のことを「ありのまま」といい、その姿を「成長した子供」といいます。


その存在を「Being」といいます。

Beingには、Doingがついています。

Doingとは、「行為」です。


例えば、殴る人が悪いのではなく、殴る行為が悪いということですね。

存在と行為は1対なのですが、あなたが誰かに傷つけられて怪我をしたとします。

あなたが誰かの言葉によって傷つけられたとします。  

このとき、あなたが傷ついた原因は、相手の「行為」ですね。


つまり、裁くべきは、行為であり、相手を裁くのはあなたでなくてもいい、ということです。 


もっと簡単に言いましょう。 

道端にゴミを捨てるコトは、ダメな行為だ。 

人を殴るコトは、ダメな行為だ。  

という思考にチェンジする癖をつけていくと、ゴミを捨てる人や殴る人に出会いにくくなります。 


逆に、道端にゴミを捨てる人は、ダメな人だ。 

人を殴る人は、ダメな人だ。 

 という思考であれば、また似た人に出会います。 


つまり、ここで重要なのは、「ジャッジすること」です。

ゴミを捨てる人をあなたがジャッジしなくても、その人は、いつか誰かに捨てられるのです。

お天道様は、因果を平等に与えてくれています。

だから、わざわざあなたが裁かなくてもいいわけです。 


裁く=ジャッジは、あなたがしなくてもいいのです。

そんな損な役回りをしなくてもいいのです。

あなたの課題は、ゴミを捨てない人や人を殴らない人に出会うために「何ができるか」ですからね。



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